室井佑月さんが仁藤夢乃さん周りから攻撃を受ける理由と団体・組織についての考察

室井佑月さんが仁藤夢乃さん関連のいろいろか方から攻撃をうけているのが気の毒だなと思います。

何故、室井佑月さんが攻撃を受けるのか?

その辺りについて団体・組織という側面から考察していきます。あくまでも私の勝手な考察なので正しいかどうかは読む人が判断してください。


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世の中にはいろいろな人がいる、大きく分類すると、、、

世の中にはいろいろな人がいます。大きく分けると以下のような感じでしょうか?この分類には右、左など思想や利益関係などは関係ないと思ってください。ほぼどの団体・組織にも当てはまると思います。

  1. 自分の属する(もしくは考え方が近い)団体・組織は何があろうとも正義。絶対に守るし攻撃は許さない。積極的に反撃する
  2. 自分の属する(もしくは考え方が近い)団体・組織でもおかしなところはあると考える。ただし積極的な行動はしない
  3. 自分の属する(もしくは考え方が近い)団体・組織でもおかしなところはあると考える。それについて積極的に指摘し良い方向性を模索し行動する

 

一番多いのは2番タイプの人たち

一番数が多いのは2番タイプの人でしょう。どのような団体・組織・集まりでも自分と合う面もあれば合わない面もあるのは当然のことです。考えが完全にマッチするなど普通に考えたらあり得ない話。

ただしそれについて積極的に意見を伝えたり行動することはない。

日本人は特にことなかれ主義が強いので自分の属する(もしくは考え方が近い)団体が多少おかしいと思ってもあまり批判することはありません。

自ら意見することで逆に批判を受けることになるという意識も働くのでしょう。まず行動しません。そして、ほとんどの人はここに属すると思われます(特に日本人はこのタイプの人が多いとお思います)。

よく言えば空気を読める人間、普通の人ですが悪く言えばことなかれ主義とも言えるかもしれません。ちょっとしたことで流されやすい。場合によって信念がない人と見られる場合もあるでしょう。

数としては最も多いので団体や組織の上層部の人から見ればこの人達をうまく取り込むことができれば大きな団体、組織になれますが流されやすい人達なのでそれもなかなかに難しい。

 

次に多いのは1番タイプの人たち

次に多いのは1番タイプの人達だと思います。

何があっても自分の属する団体・組織の考え方が正しいと判断する人達。この人達の議論は理論的ではない場合が多いと感じます。結論が先で理論は後。理由を後付で考察していきます。よほどのことが無い限りは考えを曲げることはありません。

そして何があっても結論は同じなので宗教的と言われることも多い。また怖いことに自覚症状がない人も。なので自分は正しいことをしているのに何故批判を受けることがあるのか?周りが間違っているといった考え方をします。客観的、俯瞰的な判断ができないケースが多い。

更に怖いのは団結力と行動力が並外れているということ。他の分類の方とはその団結力と行動力は段違いだと考えてください。

この人達に目をつけられたら大変。様々な角度から攻撃を受けることになります。

 

一番少ないのは3番タイプの人たち(室井佑月さんタイプ)

一番少ないのは3番目タイプの人たちです。

自分が属する団体・組織などを支持するののの、おかしいことはおかしいとはっきり伝える人達になります。

自分という人間、価値観を持ちその価値観に基づいて行動するので周りには流されにくい。その一方で先の1番目タイプの人達に攻撃を受けやすい。

「何故仲間なのに攻撃をするのか?」という感じで1番目タイプの人から攻撃を受けます。「かわいさあまって憎さ100倍」という言葉がぴったりの状況になります。とんでもないパワーの攻撃を受けます。

某政党でも違う意見を世間に発表したら一方的に断罪され攻撃を受け除名されたなんて例もありましたね。本来ならばこの2番タイプの人達は、組織や団体を俯瞰的に見ることができる貴重な人材のはずですが何故か行動を起こせば起こすほど攻撃を受け悲惨な結果に至ることが多い。そして仲間となる同じ分類の人は少ないので孤立しやすい。

おそらくは室井佑月さんもこのタイプだろうと思います。自分の信念でものごとを伝えるタイプ。自分と近い考えの組織や団体でも変わらず批判することがあります。そのために1番目タイプの標的になりやすい。

いろいろな人から攻撃を受けパニック障害にまでなったというのは気の毒なところ。比較的考え方が近い仲間と思っていた人達から無差別に受ける攻撃はきつかったと思われます。

時には自分の意見を抑え、うまく流されることも覚えた方が楽なのでしょうがその性分からそれも難しいのでしょう。

忖度せずに意見をいろいろと言って攻撃を受けるという意味ではひろゆきなんかも同じなんですが彼の場合はもともと所属する団体とかありません(あえて隠している可能性はあるかも)。そのため元々の仲間内から攻撃を受けるとしても比較的弱いものになります。もしかしたらその辺りも計算づくなのかもしれません。

 

組織・団体の長について

組織・団体の長としては1番目タイプの人が増えると楽になります。その人達に2番目タイプの人を集めさせるという感じですね。

1番目タイプの人は行動力がありすぎるので嫌われることも多いのですがその信念と行動力は凄いのでめげません。なので組織にとっては一番大切な人ということになります。

そうなると組織の長としては1番目の人達がおかしいことをしていると分かっていても、その人達を断罪することはよほどのことがないかぎりはありません。それをやってしまうと組織が根本から崩れる可能性があるからです。

ということで組織の長は1番目タイプの人のひどい攻撃を放置するか、場合によっては称賛、賛同します。そうなると1番目タイプの人は喜び団体として更に攻撃になり3番目タイプの人を殲滅しようとします。

組織の長としては本来は3番目タイプの人を上手に使うべきでしょう。発信させると組織に亀裂を生むのであまり発信させない。そして自分のご意見番(自分に意見する貴重な人材)として側近にする辺りが良いのではないかと思います。

しかしながら3番タイプの人を止められないケースもあります。正しい意見を言っていると感じつつも組織のためにはそれを断罪し潰す側に回らなければいけないという悲しい状況もありえます。

時に冷たい判断が必要となる組織の長は大変かも?(何も考えずに1番タイプと行動を共にする長もいますが)

 

商売人は1番目タイプの人を上手に利用する

ちなみに商売人は1番目タイプの人を上手に利用します。

1番目の人達は信念と行動力がある人達。そこに何かを売り込めばお金になる可能性があるからです。

しかしながら金にならないと思ったらすぐに離れます。

そのためすぐに裏切る人、人情がない人なんて批判をうけるケースもあります。

しかしながらそれを悪というのも違うような気はします。1番タイプの人は利用されているとは言え何らかの利益の提供や恩恵も受けているはず。利用価値がなくなり去っていたということは自らも同じように相手を利用していただけだと考えたほうがいいのではないかと感じます。

離れていく人を見て、人を見る目がなかったと後悔し批判的になるケースもよく聞きますが現実には自分が同じようなことをしているケースもあると思います。


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